自分の育て直し始めました☆

アダルトチルドレン(AC)やHSP(Highly Sensitive Person)・トラウマ・共依存・森田療法などに興味あり。読書や絵、アニメ、動物が好き。このブログでは私のこれまでを綴ったり、日々のこと、頭の中を整理するためにアウトプットしたり、学んだことをシェアする場所にしたい。

否定や批判とか言いたがりな人

以前、こんな事がありました。



「もし、京都へ旅に行くんだったら、抹茶とか飲んだりしてみたい♪」と私はある人に何気なく話したのです。



そしたら・・・


「え?そんなこと?京都行くんだったら、他に行くところやする事あるでしょ?」



そう言われた事をふと思い出しました。



その時は「ははは、そうかもね~」と返したけれど、若干モヤっとしていました。





そんなに変?私、おかしなこと言ってなくない?



旅の過ごし方に対して、否定や批判から入るあなたって失礼じゃないすか?ってなります。



旅するんだったら、あそこ行ってどうのこうのって人それぞれあるんだろうけど。



あれはマジで失礼じゃないか?


何なの?上から目線でえっらそうに…



あっちこっち旅したり、経験豊富なのか知らんが、何でも知ってます的なマウントかけてきた感じがして、ものすごくウゼー( ・᷄ὢ・᷅ )



私、遠出やどこかへ旅するだけでも、とって満足するだろうから、どこでどう過ごそうと楽しいはず~☆だと思う。



人のやり方や過ごし方にケチつけてくんじゃないよ!!



とりあえず1人旅したいよね。



パックツアーでも集団でも1人で自由に気ままに行動しそうな気がする。気が合う人が居たら楽しいかもだけど、1人の時間も欲しいですな。





「あなたのその選択間違ってますよ」とか「なんでここにしたの?」って、私の選択や決めた事に対して、わざわざもの申して来る人達なんなの?



悪意なく、ただ言いたがりな感じが超嫌なんです。



見方が偏っているけど、まるで〝あなたは情報弱者です〟と他人に指摘されたような気がしてならない。



なんでそれ知らなかったの?って言われたみたいでさ、ムカつく~。



優しそうな顔して、要らんこと抜かしてくる奴らの頭上にタライが降ってこればいいのに~って、面白おかしく妄想してます(ω)

小さかった私へ⑪ 小学生編

前回の記事はこちらから ↓ ↓ ↓
meeeglut.hatenablog.com


先日、久しぶりに自分が小学1年生の頃の写真を眺めていた時、ある1枚の写真に目が止まりました。



おそらく、学校から帰宅途中の私… その横に笑顔のNちゃんが居ました。2人仲良くおしゃべりしているのかなんだか楽しそう。



てか、これいつ撮られたんだろう…笑



この角度からだと自宅の塀から撮られたっぽい?もしかして父が撮ったのか?うーん…わからん。



子どもの時の写真って、自分が気づかない間に撮られていることが結構多いような気がします。




Nちゃんの話



当時のNちゃんは、身体の線が細くて、少し痩せていたような印象があります。



Nちゃんが着ていた洋服は少しくたびれている感じがしたので、当時の私は子どもながらに「ご飯ちゃんと食べれているのかな?」と、少し気になっていました。



でもあまり深くは考えずに、どんなきっかけで仲良くなれたのか忘れてしまったけど、すぐに打ち解けられたような気がします。



私とNちゃんの自宅が近かったこともあり、何度か一緒に下校したこともありました。



たった1度だけ、Nちゃんの家に遊びに行ったことがありました。



確か、Nちゃんの他にも兄弟姉妹が2、3名いたはずだけど・・・・遊びに行った時が夕方だったからなのか、家の中が少し薄暗くて、なんとなく寂しい感じがしました。





残念なことに、Nちゃんと仲良く過ごせる日はあまり続きませんでした。



今でも印象に残っている記憶があります。



Nちゃんとふたりで下校していると、小さかった私へ⑤ 幼少期編で登場する私とは馴染みにくい同級生の子たちに突然呼び止められました。



小さかった私へ⑤ 幼少期編 - 自分の育て直し始めました☆



「Nちゃんとあまり仲良くしない方がいいよ」



「私たちと一緒に帰ろうよ」



そう彼女らに言われるまま、私はNちゃんから引きはがされて、その子達と帰ることになってしまいました。



Nちゃんを仲間外れにしてしまった・・・・



私はその時、彼女らに何も言う事が出来ませんでした。



「どうして、Nちゃんと帰っちゃダメなの?なんで?なんで??」



疑問に思って、あれこれ聞いたと思うけど、なんか色々言われたような…。



彼女らがなんて答えたのかについて、全く記憶にないのですが、とにかく差別的で偏見っぽい内容だったと思います。



彼女らは、一体どこから情報収集をしているんだろう?


・・・今考えると、やはりその子たちの親や周りの大人の話を聞いたのかもしれないなぁ思うのです。



親の目線や考え方、価値観がそのままダイレクトに子どもへ伝わっているということ。



当時色んな話を聞いたり、Nちゃんを置いてけぼりして、すごく困惑しましたし、悲しくて複雑でした。



彼女らの気の強さに負けてしまった…



自分の言い分や、主張したいようなモヤモヤを抱えていても、言葉に詰まって上手く言う事が出来ない。



私はNちゃんと仲良く一緒に帰りたかったんだ。



だけど、変に抵抗したりして、もし自分まで嫌われたりしたらどうしたらいいの?



しかも、その子たちとは同じクラスメイトだったから、余計に危機感を感じていました。





どうして、仲良くしている人との関係を、悪気もなく引き裂こうとかするのでしょうか?



人と違ったり、変わっていたらそんなにダメな事なんですか?





Nちゃんには、本当に申し訳ないことをしました(._.)



その後、Nちゃんをフォローする術がなかった私は何も出来ずに過ごしていました。



記憶が曖昧すぎて、いつ頃だったか忘れてしまいましたが、、1年生の途中か、もしくは2年生に進級してからか、Nちゃん家族は引っ越してしまいました。



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また会えるとしたら、、



本当は、もっとNちゃんと遊びたかったって伝えたい。



Nちゃんと仲良くおしゃべりしたかった。



あなたを嫌いになったわけじゃないのに、1人にさせてしまったことを詫びたい。ごめんなさいって謝りたい・・・・



Nちゃん、元気にしているだろうか?

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『タフラブという快刀』読了


2017年5月頃にこの本を読み終えました。この本を読んで初めてタフラブという言葉を知りました。



タフラブという快刀

タフラブという快刀




序章 タフラブは愛の革命より



タフラブ」(tough love)とは、日本語では「手放す愛」「見守る愛」などと訳されている。



この言葉は最初、「アラノン」(Al-Anon)というアルコール依存の問題をもつ人の家族や友人の自助グループ(アメリカでアルコール依存症の夫をもつ妻たちが中心になって作られた)で使われたとされている。



読書ノートにメモしようと、再読していくうちに、自分の問題と相手の問題ごっちゃごちゃにして苦しくなっていたと気づいて、少し楽になってる自分がいます…( ˉ ⌓ ˉ ๑)




第1章より

「私」は 他の「私」に侵入してはならない。(中略) ところが、このルールが一切通用しない、いわば治外法権の空間がある。それが家族、もしくは恋人親しい仲といわれる間柄だ。


私は、境界線が薄い故に、過去に他の「私」が侵入してきたことが何度かありました。



逆に、過去の恋愛において、パートナーの領域に私が侵入して、相手の問題を自分のものとして捉えていたこともあり、勝手に難儀な思いをしていました(ヽ´ω`)トホホ・・



家族に対しても、同じような事をしていました。まさか相手の領域を侵害してるなんて、微塵も思っていませんでした。




第2章

タフラブは、相手にわかってもらおう、相手にわからせようとすることのない愛といえる。こじれた関係にあっては、わかりあおうと思えば思うほどこじれていく。


タフラブは、理解し合いたい、コミュニケーションをとりたい、という自分勝手な欲望や思い込みを手放す愛でもある。

第3章

家族や恋人などの親しい間柄では、互いが境界を超えることで「私」と「私」の境界が曖昧になる。

しかも、それがいいことだと思われている。だから、人と人とが、とりわけ家族間で、人間関係がこじれやすいのは当然なのだ。


「私」と「親 (子)」は 同じ人間ではない。私は私。あなたはあなた。私はあなたではなく、あなたは私ではない。


こじれやもつれを苦しいと思う側が切り分けるしかない。相手にそれを要求しても無駄。これは理解やコミュニケーションの断念とどこか似ている。


相手がどう反応するかより、自分が苦しいことを優先させることだ。それが切り分けるための最大のコツだ。


自分を守るためには、誰かから嫌われることがつきものだと考えよう。


相手に対して、その人のやったことの結果を示すのは必要だ。




これらの箇所を読んでいて、私のなかにある固定観念が打ち崩されていくような感覚を覚えました。



グッとくるものがありますが、どうしても相手の反応に敏感でビビってしまうし、嫌われるのが怖いと感じる自分が居るからだと思います。



だけどさぁ~・・・相手の顔色ばかり伺っているのは疲れるし嫌だ。



自分が苦しいと感じているのを誤魔化して、誰かと付き合うようなことを、私はもうしたくないです。





親子関係や夫婦関係、


人間関係で悩みを抱えている方・・・


教師やドクター、


カウンセラー等の対人援助職に就いてる方に、オススメしたい本です。



〝コミュニケーションの断念〟というワードが出ましたが、こちらの記事も信田さよ子さんの本を紹介しています↓ ↓ ↓



『 コミュニケーション断念のすすめ 』読了 - 自分の育て直し始めました☆

元ひきこもり当事者とその家族のお話

今年の冬、ある元ひきこもり当事者とそのご家族の講演会が近くで行われることを知りました。



ちょうど、私もその関連のものに興味があり、実際にその方々のお話を聴いてみたくなったので行ってきました。



講演会の内容を、まとめてこれから紹介していきます。



※ まとめてみたものの、聞きそびれた箇所があったり、内容が少しわかりにくい部分があるかもしれません…。申し訳ないです。




●家族構成



共働きのご両親、本人、お姉さんが1人。



本人さんが小学生くらいの頃まで、おばあちゃんによく面倒を見てもらっていたとのこと。そのため、本人はとてもおばあちゃん子だったそうです。



本人さんより、当時、多動の傾向があったそうで、もしかしたら今でいうADHDなどの診断がついていたかもしれないと、ふりかえっておられました。



また、多動であったことについては、それが〝普通〟だと思っていたと、語っていました。




●父親は仕事でのやり方を、そのまま家庭のなかでも実践していた



父親からピリピリとした空気が張りつめるようなオーラを感じていた…沈黙は恐怖だということ。



・息子が達成出来なかったことがあったら、まるで反省会かのように、父親からチクチク言われていた。極めつけは、紙に箇条書きでダメ出しを書いたものを天井に貼るなどしていた。



・父親のやり方に対して、母親は「子どもがかわいそうだ」と思っていたが、父親の言っていることは正論なので止めなかったとのこと。
だが「本当は父親を私が止めれば良かった、旦那が怖かった」と話されていました。


→それに対して、本人は当時「母親に見捨てられた」と感じていたとのこと。



うわ~… 三(((((´ω`;) 小学生の子どもに対してそれはあんまりだよ。


子どもがクリアしたことや達成出来たことは無視して、ダメで出来なかったことをチクチク言われるのは本っ当に辛いですよ・・・(;Д;)




●小学校の授業参観・・・父親が自分の子どもではなく、クラスで優等生の子を褒めていた思い出



・本人さん曰く、あれはすごく嫌だったと感じていたとのこと。



めっ・・・ ちゃ わかる!!頭ブンブンふって頷く勢いで同意するよー!!!


私も昔、両親がクラスメイトのことを褒めていたり、絶賛するような話を耳にして、全然面白くなかった記憶がある~。
「誰かの話なんかやめて。もっと私のことを見て!」って言いたかったですが、そのクラスメイトより私は劣っているのだと思うと、何もアピール出来ませんでした。


私も、父親に褒められたくて、色々何度もアピールしたことがありましたが、「また頑張りなさい」とただそれだけ…


自分が欲しい言葉やお褒めの言葉を、私は父からもらえなかったことを思い出し、苛立ちながら話を聴いていました。




●中学受験が上手くいかず、公立へ進むも中2あたりから不登校(14歳頃から7年くらい)



・当事者が中学・高校生の頃、父親は出張で家を空けることが多くなり、ほぼ母子家庭状態。



・母親より「本人さんが高校生の頃は塾に通ったり、趣味のバンドや友達との交流もあるなど、目立った非行は見られなかった」と話されていましたが、あまり本人と向き合わずに仕事に逃げていた所もあるとふりかえっていました。



・父親が当時を思い返すと、息子が突然不登校になったように見えたらしく、彼の意志で学校に行っていないのだと思っていたそうだ。よく本人を問い詰めたりしたとのこと。




●「がんばれない」という事が理解できない親… ご両親は団塊の世代



・戦後生まれ。日本経済を右肩上がりに支え、一生懸命に頑張ってきた両親。その時代を生きてきた親たちが、子どもに託す期待は想像以上に大きかったのでは…?とコメンテーターが述べていました。




●夫婦間のコミュニケーション「でも」「だって」「しかし」が飛び交っていた



親の表情や雰囲気を、本人は敏感に感じ取って、自分のことで喧嘩しているとか、自分のことで両親を困らせていると思っていたとのこと




不登校を経て、成人してからは一時期芸能活動をしていた時期もあったが、30歳を目前に人と関われなくなり、実家にひきこもるようになる



自傷行為摂食障害、アルコール依存など、様々な問題行動が目立つようになって、精神科病棟に入院することになりました。




●この時に初めて、父親は「子どもを責めていた」ということに気づく…



・父親はこの時、自分を変えていこうと考えたそうです。「息子と向き合うために、まずは自分の〝棚卸し(生き方の見直し)〟をして、父親としてのふるまいをふりかえったりした」と仰っていました。



夫婦で共に共通の趣味(畑や絵画、山歩き)に打ち込んだり、ひきこもりに関するフォーラムにも足を運ぶなど、本人さんと向き合う準備を重ねたそうです。




●本人さんが退院後、社会復帰施設に5年近く入所



・そのうちの3年間は、親に対する恨みが強かったと話されていました。




●まとめ



現在は、親元を離れ仕事に就いてるとのことです。



本人さんが参加者にハキハキと話されているのを見受け、過去に不登校やひきこもり、壮絶な時期を過ごしてこられた人だと、私にはあまり見えませんでした。



本当に、人は見かけによらないって改めて思うし、心の状態は可視化出来ないのでわからないです。



ふりかえると、やっぱり自分の体験を両親と共に、聴衆を目の前にして話せるって簡単なことではないです。



私の両親も団塊世代



だからなのか… ご家族の話を聴いてて、親心がちょっと垣間見えた感じがします。



親世代と子ども世代、生きてきた時代背景や流行、価値観… 全く違うから、意思の疎通がスムーズにいかんのは当たり前なんだなぁ~と。。。



ひきこもりは、家族支援がカギになるとはいうけど、私自身もう親をどうにかしたいとは微塵も思えないし、考えたくありません。



私は親のことを100%理解しようとしなくていい。



自分のことをわかってもらおうと、頑張らないでもいい…と、絶賛思春期到来中の私は思うのです(´_ゝ`)





※ こちらより下は、愚痴っぽい内容になっております。あしからず・・・<(_ _)>





こういう講演会って、親御さんや支援者が参加する事は想定されていても、当事者が参加する事を予測しているのかな?って思いました。



ひきこもりはひきこもりでも、興味関心があるものには、なんとかして接触してみたり、外に出かけてみようってなる人もなかには居るんじゃないかな?



というのも、これは私が感じたことですが、、


セミナー等でも会場に入る前に名前の記入をお願いをされます。拒否はせず、一応名前書くんですが、内心少し抵抗があります。



自意識過剰であることは重々承知していますが、私より後から来られた方々に、誰が参加しているんだろうと、名前を見られちゃうのがちょっと嫌なんです。


・・・うん、まぁそんなジロジロと見られないだろうけども(ー'`ー;)



気にしすぎだし、興味があって参加しているのだから堂々としていればいいんだけど、あまり周囲に私が居ることを知られたくないといいますか。。



あと、てっきり講義形式で机が並べられて、椅子に座って話が聴けるかと思いきや、机なしで椅子が円になって配置されていたので、思わずどうしよう…Σ(- -;;ノ)ノ ってなりました。



1人ひとりのお顔がよく見える… 私の顔も周りに丸見えなのはなんだか落ち着かない…。



微妙だなぁと思いつつ、とりあえず聴きたいところまで聴いて、グループ作って茶話会に入る前の休憩時間に抜けることにしました。私の他にも何名かいたけど。



あぁ… 電話申込した際に、タイムスケジュールとか、事前に色々聞いておいてもよかったかな~と後悔。


グループになって、お茶やお菓子を食べつつ深い話も聴けたのかもしれないのに~。



でももう無理だった。



先日参加したひきこもり勉強会と、この講演の主催は別だったんですが、先日の勉強会で一緒だった方もいらしたので


「またお会いしましたね」となるのはどうしてと避けたかったのです。



うん、人見知り発動しちゃうよね~。


…だって私はただ元当事者とそのご家族からのお話を聴くのが目的だったから。別に友達作りに行ったわけではないから。





個人的な感想や希望としては、もうちょっと!話の内容を時系列にまとめて話して欲しかったー!あっちこっち話が飛んでいくから、いつ?どの時期の話?ってなり、ちょっとわかりにくかったです。



あと、元当事者と家族さんとの話がうまく噛み合ってないし、本人さん話されている横でご家族さん勝手に喋り出すし💦ところどころ話が脱線したりしてました。



微笑ましいところもありますが、私は若干イライラしてしまいました。せっかく話聴きに来たのになんだかなぁ~…って個人的に思いました。


講演後のアンケートがあれば、即書いていたかもしれません。



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すみません、愚痴たっぷりに書いちゃいましたが、、過去に、家庭内での葛藤や対立、様々な修羅場をくぐり抜けてきて、今日たくさんの人たちを目の前にして、笑い涙しながら語るということは、当たり前に出来ることではないのです。



もし私が、自分の家族と共に、人の前で語ることが出来るかといったら…まず無理です。


怖いし、恥ずかしいし、相当な覚悟と勇気がいります。



てか、話そうとする以前に家族が拒否するだろう。



それに、娘の私がひきこもり関連の勉強会や講演会に顔を出していること自体、父は全く知らないです。



母は、私がどこに行っているのかは知っていますが、どんな内容の話を聴いているのか…深くは理解していません。



別にもうね、、親がその事を知らなかろうが、理解してなかろうがどうでもいいの。



両親にそういう話をするだけ、ただただ骨が折れるだけだ。





今回の参加者、把握してないけどおそらく、不登校やひきこもりの子がいる親御さんやその支援に携わる方がほとんどでした。



参加した当時の自分の心境としては、心細い気持ちがあったこと。



ピア的な関わりが欲しいなぁという切実な思い。



参加したこの日、何となく肩身が狭かったけれど、自分の気持ちや思いをジワジワ感じ取れたし結果良かったです☆



以上です。

小さかった私へ⑩ 小学生編

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お休みの午後は、愛犬と散歩する事が日課になっています。



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散歩コースは、愛犬が行きたい方向に合わせて歩くので毎回変わります。



たまに、私の母校である小学校の前を通る事があります。



通っていた当時と比べると、学校周辺はかなり様変わりしていて「あれ?昔どんなだったかなー?」と記憶がいよいよ危うくなっております。



とりあえず運動場は今よりも広かったし、遊具は昔の方が充実していました。



通学路付近を歩くと、ピカピカの1年生だった頃の記憶がよみがえります。。



今は無くなってしまったけど、木が生い茂っていた丘のような場所に、普段よく使っていた通学路とは別の道がありました。



1年生の時に、同じクラスのRちゃんと仲良くなり、一時期よくそこを歩いて帰っていました。



Rちゃんは、小学校の中にある幼稚園に通っていたこともあり、もう慣れっこな感じで、色んな場所を教えてくれたりしました。



「ここにクワの実があって美味しいんだよ〜」とか…そんな感じの内容だった気がします。



普段は1人で帰ることが多かった私にとって、友達と帰るということがとても新鮮で楽しかったのです。





一時期、よくRちゃんと一緒に帰っていたけど、いつからかまたぼっちになってた気がする…



てか、Rちゃんは小学校卒業まで在籍していたのだろうか?



今となってはよく思い出せない。



母校近くを歩くと、忘れていたことやあまり思い出したくないこと、楽しかった思い出など、何かと当時の記憶がよみがえります。

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『ゆがんだ正義感で他人を支配しようとする人』読了




昨年末、タイトルに惹かれて思わず読んでみることにしましたww




はじめに

「この本で扱うのは、実はあなた自身の「自立」と「自由」に関する問題なのだ。


自分の人生を
自分のものとして生きているか?


自分に敵対し、自分を攻撃してくる者から、自分と家族をしっかりと守ることができているか?


その覚悟が出来ており、
言葉や行動が伴っているのならば、
私たちはそれを「自由」と呼ぶ」



こう書かれてあり、とてもグッときました。。



この言葉から、改めて私は自分の人生を自分のものにしてはいなかったと実感しました。



私は、自信より他信で動いていました。



そして、受け身である。



私悪くない。



私に攻撃したり、嫌がらせしてくる人が悪いんだと、人のせいにしていました。



こういう人たちが居るから、私は生きづらいんだ!って嘆いていました。今でもたまにそうなる事があります(´Д`)



人生を何度か諦めようとしたこともありました。



あと、「嫌いな人たちなんかいなくなればいい」といった“排他的思考”が、自分のなかに確実にあると思います。





そうじゃなくて、 自分はどう生きたいのか。



色んな人たちが存在していても、私はどう関わっていくか?



方法を模索することが出来るし、私がどうしたいかは自由なんだ。




第5章のスクールカースト



「自由からの逃走」でこう書かれていました。


「「自由」であり続けるためには、それにともなって生じる「孤独」や「責任」の重さを受け止める「覚悟」が必要だ」

あぁ… 自由って深い…



自由が遠くに感じるけど、今はその自由になるためのプロセスを歩んでるのかなと思います。



攻撃に屈さなくていい。



距離を置く。離れていい。



自分の自尊心を、誰かに簡単に売り渡さないでいい。



これらのことを忘れないようにしたいです。





本書では、職場やご近所トラブル、ハラスメント、スクールカースト、ネットいじめ等における“危険な隣人”の特徴や関わり方などが書かれています。



・・・読んでいくと、私も“危険な隣人”だったことが過去にあったと気づきました llllll(-ω-;)llllll



また、自分が今後ゆがんだ正義感をふりかざす人になる可能性がないとは言いきれないとも言えます…。



私は間違っていない!



自分だけが正しい!



などと主張したくなるその前に、一旦立ち止まって、、



「本当にそうか?」



と、疑問を持つことが大切だと思えます。

『お母さんはしつけをしないで』読了


文庫 お母さんはしつけをしないで (草思社文庫)

文庫 お母さんはしつけをしないで (草思社文庫)



こちらの本は『ママ、怒らないで。~不機嫌なしつけの連鎖がおよぼす病~ 』の参考文献で、気になったので昨年初夏あたりに読ませていただきました。



ママ、怒らないで。不機嫌なしつけの連鎖がおよぼす病

ママ、怒らないで。不機嫌なしつけの連鎖がおよぼす病



⬇️ こちらが本の紹介記事です ⬇️



『ママ、怒らないで。~不機嫌なしつけの連鎖がおよぼす病~』読了 - 自分の育て直し始めました☆





『早期からの知的教育は 声を大にして反対』と、著者は述べています。



『可塑性に富む時期だからこそ勉強に費やされてしまうことのデメリットを考えねばならない。


子どもたちには「子ども」を体験することが不可欠だ。


好奇心に従って世界を探索すること、試行錯誤を繰り返して自分で判断すること、同年代の子どもと自由な交流をもつこと、さまざまな感情を経験し表現してみること…。


そして何より、お母さんから「強制されない」ことを通じてありのままの自分を受け入れること。


それらを通じて 自尊心がつちかわれ、安定的な人格の土台が形成される。


この土台が、将来にわたって 主体的に学ぼうとする構えを生みだすので、一生涯の宝物になるにちがいない。』

子どもに勉強をさせないでいい。



しつけなくていい。



子どもの時期に“早急な大人化”を親は求めすぎている。



何でも従順に応じる“よい子”が危険であるということ。



この本には、しつけによる後遺症の恐ろしさや、少年事件への関連性について詳しく書かれていました。





今日はブログ連続投稿となりました💦



明日はブログ投稿お休みしまして、また明後日日曜日から投稿しまっす( 'ω')و ̑