自分の育て直し始めました☆

アダルトチルドレン(AC)やHSP(Highly Sensitive Person)・トラウマ・共依存・森田療法などに興味あり。読書や絵、アニメ、動物が好き。このブログでは私のこれまでを綴ったり、日々のこと、頭の中を整理するためにアウトプットしたり、学んだことをシェアする場所にしたい。

人を嫌いにならないために

最近、ネットで知り合った友達とやりとりするようになりました。


ほとんどが既婚者でパートナーがいたり、子どもがいる人もいます。そして、私以上にさまざまな経験を重ねてこられた方々ばかりです。


海外旅行の時の写真や有名人と出会った話、家族のエピソードなどなど…。

初めは興味深く聞かせてもらっていたけど、話がどんどん進むうちに、自分に足りないものを見せつけられたような気がしました。

 

私は独身でパートナーもいないし、子どももいません。だから余計にみじめで卑屈になってしまう自分や、嫉妬で狂ってしまうのを内心感じていました。

 

みんなとは住む世界が違うし、毎日の忙しさや抱えている大変さは、当たり前だけど私とは全く異なるということを改めて思い知らされ、ものすごく苦しくなっていきました。

油断すると、既婚者と独身者とラベリングしたり、分断するような思考回路に陥りそうになります。

 

よくよく考えれば、人の幸せの形を目の当たりにしても、自分の今ある幸せや自分の価値が下がることは決してないのです。そんな一文を以前何かで読んだことを思い出しました。


あと、その人と自分を比較しても、ただ自分がしんどくなるだけだから、なるべく誰かと比べることはやめて、目の前のことや好きなことを見つけて、少しずつシフトチェンジしたいと考え始めました。

 

せっかく知り合えて仲良くなれたのに、私の負の感情で関係を破綻させることはどうしても避けたいと考えています。

 

嫉妬で心がすさんでいる時や、人のやることなすことに頭が文句で埋め尽くされる時は、自らネット上で人と絡みに行くのはやめようと思いました。
一時の感情で行動してトラブルを自ら起こしたくないので、相手とのちょうどいい距離感を模索していきます。

 

昔よく女友達と連絡を取り合っていた時に、何度も似たような心境になることが多くありました。結婚や出産、育児、新たなライフステージに進んで充実している友人を見ていて、何とも言えない寂しさを味わいました。

 

最近でも人とやりとりする際、すごく実感させられます。話題を共有できない寂しさ、むなしさがあります。未経験でわからないことだらけだから、話を聞けて知ることができるのに、メンタルが不安定だと聞く耳を持てなくなります。

 

ビビりながらも誰かとつながりを持てたし、少しずつ仲良くなれても、自分はみんなと違うことを実感して、ひとりで勝手にフェードアウトしたくなる…そんな瞬間が時折やってきます。

 

友達に対する複雑な気持ちを1点集中させずにどうにかこうにか分散させて、またコミュニケーションをとるときになったら、せめてフラットな気持ちで関わりたい。

 

というか、心理的距離を自分が詰めすぎてしまっているのがいけないと思う。

八つ当たりとかそんなことをしてしまう前に、もう既に心のシャッターを半分おろし始めています。

相手を嫌いになったんじゃなくて、むしろ好きだからそうしたくなるのだ。

幸せな時間をありがとう

前のブログ記事から引き続き、2021年10月から今年の年明けまでの空白期間について記事に残していこうと思います。

 

昨年4月に入って間もない頃、愛犬が虹の橋を渡りました。14年と5ヶ月。長いようであっという間の短い時間でした。

 

家族として一緒に過ごすことができて、とても幸せな時間でした。

一緒に過ごした日々が、だんだん過去のものになっていったとしても、自分の中でずっと思い出として残っていくと思います。

 

亡くなってから今でも、愛犬の存在を感じながら日々過ごしています。

愛犬が旅立ってから、何をしていても涙が止まりませんでした。

寂しさと悲しみ、さらに後悔の念が幾度となく押し寄せていました。

「あの時こうしていたら…」「自分がもう少し色々できることが多ければ良かったのに…」と、自分で自分のことを責めることが多かったです。

 

罪悪感に苛まれることもありましたが、今は幸い家族と一緒に暮らしているので、あまり負のループに飲まれずになんとかやってこれました。

 

気持ちの浮き沈みは繰り返しつつ、他にも色々ありながら、少しずつ日常に戻っていっている感じです。

 

よく愛犬が過ごしていた場所に愛犬がいない…もうこの世からいなくなってしまったという現実を受け止めるまでに時間はかかりました。

月命日には手を合わせて、時間が経過していくごとに、今ではだいぶ落ち着いてきました。

 

少し余裕が出てきたときに、スマホに残されていた愛犬の写真を写真屋さんでプリントしてきました。操作方法に手間取ったため、見かねてやってきた店員さんのサポートを受け、なんとか写真を現像できました。

 

その間、気づけば愛犬のことを店員さんに話して、親バカ発言をかましたりしてました。対応してくださった店員さんがとても聞き上手で、優しさに甘えていました。お忙しい中本当にありがとうございます。

 

涙ながら愛犬について話した日々や、真夜中どうしようもなく消えたい気持ちになることを何度かくり返し、現在は愛犬と過ごした楽しかった思い出を家族とよく笑いながら語っています。

 

ペットロスから少しずつ回復している気がするけど、愛犬がいない日常に慣れてきてしまった自分がなんだか嫌になります。時折会いたくなるし、いっぱいなでなでしたいし、一緒に散歩できないのかと思うと無性に寂しくなります。

 

愛犬が旅立って半年経つ前に、お休みしていた音声配信アプリで話せるようになりました。人恋しい気持ちが強くなって、誰かと交流したくなって久しぶりにライブも始めてみました。

 

一期一会でもいいから、その時居合わせた人と何気ない会話をすることで、気持ちが軽く明るくなったのを体感しました。一時的なやりとりでも救われることが多いと感じます。

 

いつまた会えるかわからないし、愛犬がいる虹の橋の向こう側は天国だと思うけど、私がそちらに行けるかどうかはわからない。どちらかと言うと私は地獄寄りかもしれない。

 

もし会えたとしても、私のことを覚えてくれているだろうか。嫌われてしまったら会ってくれないかもしれない。生前のうちにもっと彼にしてやりたかったこと、ほとんど出来なかった後悔や負い目があるから、どうしてもそんな風に考えてしまいます。

 

我が家では最初で最後の愛犬で、これまでもこれからも大好きな家族に変わりないです。



家族になってくれてありがとう。

情けなくて腐りかけてた時期の私に寄り添ってくれてありがとう。

幸せで楽しい時間をたくさん本当にありがとう。

年明けに近況報告

どうも、ご無沙汰しております。

ブログ更新ができないまま、2024年になっていました。

年が明けてからすぐ、またもや大きな地震が起こってしまいました。

 

地震発生の通知がスマホに届いたので、思わずテレビをつけました。NHKのアナウンサーが大声で繰り返し避難を呼びかけている。日本地図が右下に表示され、日本海側が点滅している状態…。大津波警報が発令されており、津波が押し寄せる映像を目の当たりにして、私は記憶にもまだ新しい東日本大震災のことを思い出しました。

 

正月早々とんでもないことが起きてしまったと驚きましたが、いまだに信じられない自分もいました。

時間が経つにつれ、目を覆いたくなるような映像が流れてきて、これは今実際に起きていることなんだと改めて実感しました。

 

コロナ禍で人との出会いが制限されていた時期を経て、今回の年末年始は久しぶりに帰省される方々も多かったのではと思います。

 

今も余震が続いている状況です。寒さが厳しい場所で、家族と共に身の安全を最優先に行動している方々、慣れない土地で避難を余儀なくされている方々のことを考えると、ただただ胸が痛みます。

令和6年能登半島地震により亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、被災された皆さまに心よりお見舞い申し上げます。

 

 

最後に更新したブログ記事が2021年10月で終わっていたので、この空白期間に起こった出来事をまず書いていこうと思います。

 

2022年夏の暑さが少し和らいだ頃、祖母が老衰で亡くなりました。96歳でした。

 

亡くなる以前に、施設でお祝い行事がありました。その頃から体調不良があって、そろそろお迎えがくるのではないかと色んな話が出ていました。

 

正直、当日どうなるのか不安でした。そんな中、両親は華やかな衣装を用意し、祖母はきれいにおめかしして、なんとか写真撮影を無事終えることができました。その日は両親や親戚も祖母に会いに行けました。当の本人は眠そうにしていたそうですが、本当に良かったと思いました。

 

お祝い行事を終えたあと発熱状態が続き、さらに食事量が減り、点滴が開始されました。亡くなる2週間近くは、担当のケアマネさんから逐一報告の電話がありました。父は毎日、祖母が入所する施設へ出向き、私を含む家族は家の中を整理したり、掃除に明け暮れていました。まるで人が死ぬのを待っているみたいな感じがして、手を動かし足を動かしている自分がなんだか嫌でした。

 

頭の中では思考が止まりません。祖母が亡くなってしまう悲しさや喪失感よりも、葬儀を滞りなく無事終わらせたいとか、他人に変わりない遠方の親戚に会わないといけない面倒さが勝ってしまいます。つくづくダメな孫だと我ながら思いました。

 

いよいよその日がやってきて、初七日を終えるまでは慌ただしく過ぎていきました。言われたくないことを悪気なく言われた以外は、なんとか終えられたと思います。不安に思っていたことはほとんど起きませんでした。事細かく書いてしまうと長くなってしまうので、割愛させていただきます。

 

小さい頃はよく遊んでくれた祖母。大人になってからは良い関係を築くことができず、喧嘩がたえない日もありました。祖母が認知症を患い、入院期間を経て施設入所が決まってからは一度も面会に行きませんでした。

 

コロナ禍当初、施設から祖母が救急病院に搬送されると連絡を受けて、父と一緒に病院へ行きました。私は何年かぶりに祖母と会いました。ベッドに横たわる彼女の容姿はだいぶ変わっていてショックを受けました。

 

救急センターから病棟へ移ると、祖母は暴言を吐けるくらいに元気になっていました。もう私の名前は覚えていないと思っていたけど、そこはまだしっかりしていました。

「面会にこない」「(私の容姿を見て)太っている」とか、方言交じりだけどおそらく汚い言葉で私らをとにかく罵る…。祖母の声が病棟中に響き渡ります。

心底恥ずかしい気持ちもあったけど、早く終わればいいいのにと笑って聞き流すしかできませんでした。横を見ると、「情けない…」とポツリとつぶやく父が普段より小さく見えました。

 

内心、今度祖母に会う時は亡くなった時になるだろうと漠然と考えていました。本当にそうなりました。

 

施設から祖母の日常を切り取った写真や動画が残されているタブレットをもらいました。家族葬がひと段落してから、ようやくそのタブレットの中身を確認して、私はその時初めて泣きました。

後悔に近い感情なのか、今でも言語化が難しいです。できれば祖母を好きだと思える孫になれなかったのが少し悔しかった気がします。

 

亡くなった今でも、祖母がどんな人間だったのかわからない。

 

物心つく前から母の味方をしてきた自分は、クリアな状態で祖母を見ることができません。周りから聞こえてくるようなおばあちゃんとのふれあいやほほえましいエピソードは、祖母と良い関係を結べなかった自分にとって、ただただうらやましいものでしかない。

 

話の終着点を見失ってしまったので、ここで一旦祖母に関する話を終えておきます。

昨年、一周忌法要を無事終えました。ひとまずは近況報告でした。

また後日、ブログをお休みしてた期間の話をしていきます。

 

長文となってしまいましたが、

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

小さかった私へ㉙ 小学生編

前回の記事はこちらから↓ ↓ ↓

meeeglut.hatenablog.com

 

ある日の午後、女子だけが保健室に集められた。「どうして男の子も一緒じゃないのか?」とすごく疑問に感じていた。また、女の先生ばかりだったので、いつもと違う雰囲気のなか、ただただ先生の指示を待っていた。

 

あまりよく覚えていないが、養護教諭の先生から、2時間弱くらい話を聞いた気がする。私たちの身体の仕組み、男女の身体の違い、生理のこと、生理がいつ始まるかは個人差があること、ナプキンの使い方・・・とにかく色々。

情報量が多すぎるし、すぐ聞いてわかるようなものではなく、私の頭のなかは若干混乱していた。

 

色んな話を聞いて、頭がパンクしそうになりかけていたので 「とりあえず、家に帰ったらお母さんに聞いてみよう」と考えていた。

自分のクラスへ帰る為に、靴を履き替えたその時、クラスが別の近所の子からいきなりこんな事を言われたのを今でもよく覚えている。

 

「あんたに生理なんて関係ないよね〜笑。」

 

言われてすぐ何が起こったのかよく理解出来ないでいた。それでもなんとも言い難い不愉快な気持ちになったのは本当で、それを上手く言葉にすることが難しかった。

どうしてそんなことを言われなければならないのか、、すごく悲しかったし、腹立たしさも少し感じていたと思う。それなのに私は、反論をせず 「へへへ」と笑ってその場を濁して離れるしか出来なかった。

 

あの発言は、私を見下すものであったに違いない。「お子ちゃまのあんたにはこんな話わからないでしょ〜笑。」といったある種のマウンティングのひとつかもしれない。

 

同じ同級生なのに、子ども扱いしてくる態度や言葉… 私と対等に接していたら、こんな発言はしないはずだ。こうやって書いてる今でも苛立ちが止まらない。


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身体が女であると、毎月のようにそれがある。私は生理不順があるから不定期でやってくる。厄介なそれだけど、周期通りにきてくれると、最近ではものすごくありがたく感じるようになった。個人差はあるが、耐え難い痛みや辛さを伴うものだから、望まないしんどさを定期的に体感しなければならない。

 

生理前や生理中の時、大抵あの言葉を思い出してしまう。ただでさえPMSでイライラするのに、余計ムカついてきてどうしようもない。「あんたにはわからない」と軽口でも言ってはならない。人の身体のことを他人があーだこーだ言ってはいけないと肝に銘じておきたい。

 

あの発言をした同級生が、子どもを連れて買い物をしているのを見かけたことがある。解せぬ。

 

初回の記事はこちらから↓ ↓ ↓

meeeglut.hatenablog.com

映画『幸せなひとりぼっち』を観た感想

久しぶりに映画の話をするんだったら、おすすめしたい作品の中から1つ紹介していきます。

 

 

あらすじ

愛する妻を病気でなくして、さらに長年勤めてきた会社からクビと言われたオーヴェ。生きる気力を失い、自ら死を選ぼうとしていたその時、ある家族が隣の家に引っ越してきたことによってそれを断念します。隣人一家や色んな人達との交流を通して、少しずつ心を回復していく姿を描いたスウェーデンのコメディヒューマンドラマです。

 

消えたい私に寄り添ってくれた

幸せなひとりぼっちは2015年に公開されたもので、確か2年前に見たと思います。その頃抑うつ状態が強くて、色んな作品にどっぷり浸かりたくて観ていた映画のなかの1つでした。自殺とか、生き方とか、色々考えさせられる重いテーマを含んでいるので、泣かずにはいられない場面が多いけど、所々笑えるとこもあって、2時間があっという間に感じました。

 

色んな場面で涙を誘う

主人公オーヴェは、偏屈で頑固で気難しい感じなので、正直近寄り難いタイプのおじいさんだなぁというのが第一印象でした。生真面目すぎるが故に、ルールを守らない人には厳しく注意したり、常に怒りっぽくて口が悪いので、もう少し言い方があるのになぁって思いながら内心ヒヤヒヤしながら見てました。

 

そんななか、最愛の妻の墓の前で1人寂しげに語りかけるシーンがあります。彼が人知れず抱える深い孤独に思わず目頭が熱くなりました。

 

大切な人を失った時の喪失感、死別の辛さは、想像を絶するものだと感じます。

私自身、人との別れは経験してはいるものの大切な人が亡くなった経験がありません。だから余計に、死別の痛みや悲しみ、苦しみは計り知れないものがあるだろう。いずれはやってくるその日に、自分がどうなってしまうのか全くわからないし怖い…。本人にしかわからない悲しみがある、彼を見ていて色々思うのです。

 

死のうにも死ねない

オーヴェは作中に何度も死んでしまおうと様々な手段を試みますが、死のうとする時に限って外で何かが起きたり、誰かが訪ねてきたりして実行を阻まれます。あと、時折走馬灯みたいに過去のシーンが流れて、そこで初めて彼の人となりを形作った背景を知ることになります。

 

過去のシーンでは、彼の幼少期から現在に至るまでの辛かったことや苦い体験、楽しかったことや幸せな日々が流れていきます。今は亡き大好きな父親と彼の妻ソーニャがそこで登場します。妻役を演じる女優さんがとてもキレイで、笑顔が美しい素敵な方で惚れ惚れしました。彼らの運命的な出会いやデートの場面は、キュンキュンしながら見てました。

 

彼を愛さずにはいられない

ストーリーが進むうちに、オーヴェに対する見方がかなり変化しました。口が悪いから何かと誤解を与えやすい人ではあるけど、差別や偏見なく、どんな人に対しても真っ直ぐに接する一面があるということ。それに、彼は何度も人生をあきらめようとしてきたけど、そんな時でも困っている人を黙って見過ごせず、なんだかんだ言いながら助けたり世話を焼いたりしちゃう……私はそんな彼のことがだんだん愛しくなっていました。

 

上辺の優しさとかじゃなくて、本当の優しさや思いやりがある人って、彼みたいな人のことをいうのかなって思いました。

 

心をほぐしてくれた人

隣に引っ越してきたパルヴァネという女性が、なにかとオーヴェに対して遠慮なくズカズカと(良い意味で?)絡んでいくやりとりが面白かったです。初めは彼女を煙たがって煩わしく感じていたオーべだったけど、不器用ながら少しづつ彼女に心を許していきます。

そのなかである日、オーヴェがパルヴァネを珍しく鼓舞する台詞があって、それがものすごく彼らしさが滲み出ていて、とてもグッときて印象に残ってます。今そのシーンを見てもまた泣いてしまうんだろうな。

 

 

まとめ

しょっちゅう涙腺崩壊させられてたけど、映画を見終わった頃には、心がぽっとあったかくなるような違う感じの涙がこぼれていました。
「幸せなひとりぼっち」ってそういう意味だったんだって、ラストシーンを見ながらふと腑に落ちました。

 

今後の人生どうなるやらって、色々深く悩まされる時があります。本当に孤独になってしまった時に、手を差し伸べてくれたり、周りの人達を私はどれだけ大切に出来るかなって想像します。だいぶ時間が経ってからまた観たい映画です。

寂しさ

※2021/06/26 16:25 加筆修正済

唐突だけど、去った20代をふりかえる。

周りに人はたくさん居ても、どうしようもなく寂しさを抱えていた。そんななか幸いなことに、私の悩みを聴いてくれる人の存在に何度も救われてやってこられた。

 

気心知れた人に話して、吐き出して、一時的に寂しさは薄らぐけど、また寂しいと共に過ごす時間はやってくる。頼れる人がいない、打ち明けられる人と時間が合わない瞬間がある。聴いてもらえない日は部屋で1人泣くか、寂しさを紛らわすために何か好きなことに没頭してやり過ごすしかない。

 

んがしかし、メンがヘラると通常版のやり方ではどうにもならなくなってくる。苦しくて気が狂いそうになる。寂しさに囚われて解消しようと変に頑張ってしまうと、誰でもいいからと下手に出会いを求めたり、お酒を飲む量が日に日に増えて、度々やらかして迷惑をかけたこともあった。

 

結局、時間をかけて自分と向き合っていかなければならない。mustって好きじゃないのに、つい 「〜せねばならない」って表現になってしまいうんざりする。だが、これまで浮き沈みを繰り返してきて思うのは 「あ〜やっぱやるしかないのね」 って考えを改めた。

 

己の寂しさを含めた様々な感情との付き合い方を、誰も教えてはくれなかった。人のやり方を実際に自分も試したけど、あまり上手くはいかなかった。

自分に合う方法は何か?考えていく必要があった。それから、色んな本を読んで視野を広げたり、言葉に助けられたことがたくさんあった。


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どんな感情も自分という人間を教えてくれるツールの1つだ。耐え難いネガティブな感情は、完全に消すことは出来ないけど、それらを少し小さくしたり、軽くすることは可能だと思う。

 

時間が解決してくれることがある。何か起きた瞬間は圧倒されてヘロヘロになるけど、感情も波があるので、少しずつ穏やかになっていくことを体感してみる。

不安や寂しい等を一旦脇に置くとか、見て見ぬふりをするって難しいけど、長時間それに注目してるとだんだん苛まれてものすごく疲れてしまう。

 

なので、色んな感情を抱えながら、日々手や足を動かして目の前のことに取り組む訓練を行う。

上手くいかなくて元々なのだ。失敗してもまた何かに集中してみる。何かしながら食べるのをやめて、いつも以上に味わって食べてみる。掃除や洗濯物を畳んでみる。散歩に出かけて目に入る景色をぼーっと眺めてみたり、ストレッチや体操などで身体感覚に意識を向けたり、、呼吸に集中するとか、瞑想もいいと思う。何もやりたくない時はもう寝よう。

 

自分に合う方法を見つけるまでは、途方もなく長くて苦しくてやってられなくなる。休み休みでもいいから、また模索してみる。なんとなくコツが掴めてくると、少し生きやすくなりそうではある。


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当時の自分に重なる人がいる。あの時、寂しさで押しつぶされそうになっていた私を、支えてくれた人達が居たように、私もその人に寄り添いたい気持ちになる。

 

でも、その人はその人であって「私」ではない。「私」は、支えてくれた人達のようにはなれないのだ。また自他との境界が曖昧になる。みんな出来るんだから私にだって出来るかもしれないって期待しちゃうと、大体後々きつくなる。

 

寄り添うって口では簡単に言えるけど、ずっと行動で示すことは本当に難しい。正直私もしんどい。関係を断つ程ではないけど、その人の為に「私」は存在していないし、「私」はずっと誰かの聞き役でいたくない。ひとりの時間を確保しないとやってられないからだ。

 

自分の良き理解者は「私」ではあるけど、たまには誰かに話を聴いてもらいたい。聴いてくれる人は少し増えたけど、もっとこう受け取ってよ!って人に求めすぎるのが悪い癖なんだけどさ。

小さかった私へ㉘ 小学生編

前回の記事はこちらから ↓ ↓ ↓

meeeglut.hatenablog.com

 

今回のクラス替えはあまりいいものではなかった。理由は、小2の時に私を散々パシリ扱いしてた子とまたしても同じクラスになってしまったからだ。

その時の話はこちらから ↓ ↓ ↓

meeeglut.hatenablog.com

 

もう気分は最悪に近かった。嫌いな人や苦手な人が1人居るだけで憂鬱で仕方がない。

これから1年、またその子と一緒に過ごさなければならないのかと思うと気が遠くなってしまう。ただでさえ人と仲良くなるのに時間がかかってしまうのに、クラス替えというイベントのせいで、また一から始めなくてはならない。このイベントがなければ、素直に春が好きと言えたはず…この時期は毎回陰鬱な気分に晒され、胃がキリキリしていた。

 

あの頃を今ざっとふりかえると、忘れたり記憶が抜け落ちてるせいかもしれないが、地味にしんどかったけど、そこまで酷くはなかった気がする。小2の時みたいに、その子が私を利用することは少なくて、良くも悪くも私が他の友達やクラスメートとやりとり出来たことが大きかったかもしれない。


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小4になって間もない春先、私は担任の若い女の先生に夢中になっていた。先生と仲良くなりたくて、いっぱい褒められたくて一生懸命だった。先生は美人で優しくて、私の話をよく聴いてくれる。それがただ嬉しくて、しつこく先生につきまとうようになっていた。

 

今思えば、友達が作りにくい私は、頼れる人や甘えられる存在に飢えていたんだと思う。あと、無意識に母親を求めていたのをひた隠しにして、これまで我慢してきた構ってほしい反動を一気に全て先生に集中させてしまったのがいけなかった。

 

ある日私は、先生に大声で怒鳴られてしまった。休み時間、机に向かって忙しそうにしてる先生に対して、空気を読まずウザ絡みしてしまったのが悪かった。

 

なんて言われたか一言一句覚えてないけど、確か 「いい加減にしなさい!私は忙しいんだよ!!」 的な言葉をヒステリックに甲高い声でまくし立てられた。まさか怒られるとは思わず、泣きそうになるのをこらえながら、なんとか声を振り絞って「ごめんなさい」って謝ったと思う、多分。

 

温厚でとても優しい先生が、豹変して怒鳴ってきたことに面食らった。ショッキングな出来事として今でも記憶に残っている。

 

後になってふりかえれば、教職員の仕事はかなり激務で、想像を絶する以上に大変だということ。受け持つ生徒は、私以外に30人以上も居て、私ばかりに構っていられないこともよくわかる。よく理解していない自己中な子どもの私は、そんなの関係なくベタベタと接してしまって、知らず知らずのうちに先生の手を煩わせてしまっていた。

 

それでもモヤモヤしてしまうのは、そこまで怒鳴る必要があったのかということだ。「先生は今忙しい。仕事に集中したいから、あなたの相手は出来ない」等と話してくれたら言うことを守れたのにって言い訳したくなる。だから、今でも先生の対応に少し不満を感じている。でも、先生だって色々余裕がなかったのかもしれないし、自分も悪いし…何とも言えない。

 

当時先生に怒鳴られて、私は邪魔な存在だと言われたみたいで物凄く悲しくなった。好かれたい相手に不快な思いをさせてしまった罪悪感と、先生に嫌われて拒絶されたと思い込んだ私は、それ以来先生に話しかけるのをやめて距離を置くようになった。

 

それから数日経って、二学期から産休に入った先生の代わりに、別の先生が担任になった。先生に対するわだかまりが解消することも、お別れを言うこともなくさよならしてしまった。

 

 

後日談になるけど、社会人になって一時期子どもと関わる仕事をしていた際、当時の担任と再会した。まだ教職に就いていたことを知り、思い切って話しかけてみたのだが、先生は私のことを全く覚えていなかった。たくさんの教え子がいるだろうから、忘れられても無理もないと思った。ドラマチックな展開はフィクションの世界だけの話で、これが現実なのだと思い知らされた。

 

・・・今更なのですが、時系列がしっちゃかめっちゃかだし、拙い文章で読みにくい箇所が多々あり申し訳ないです。ここまで読んでくださった方々、本当にありがとうございます。

 

初回の記事はこちらから ↓ ↓ ↓

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