自分の育て直し始めました☆

アダルトチルドレン(AC)やHSP(Highly Sensitive Person)・トラウマ・共依存・森田療法などに興味あり。読書や絵、アニメ、動物が好き。このブログでは私のこれまでを綴ったり、日々のこと、頭の中を整理するためにアウトプットしたり、学んだことをシェアする場所にしたい。

年明けに近況報告

どうも、ご無沙汰しております。

ブログ更新ができないまま、2024年になっていました。

年が明けてからすぐ、またもや大きな地震が起こってしまいました。

 

地震発生の通知がスマホに届いたので、思わずテレビをつけました。NHKのアナウンサーが大声で繰り返し避難を呼びかけている。日本地図が右下に表示され、日本海側が点滅している状態…。大津波警報が発令されており、津波が押し寄せる映像を目の当たりにして、私は記憶にもまだ新しい東日本大震災のことを思い出しました。

 

正月早々とんでもないことが起きてしまったと驚きましたが、いまだに信じられない自分もいました。

時間が経つにつれ、目を覆いたくなるような映像が流れてきて、これは今実際に起きていることなんだと改めて実感しました。

 

コロナ禍で人との出会いが制限されていた時期を経て、今回の年末年始は久しぶりに帰省される方々も多かったのではと思います。

 

今も余震が続いている状況です。寒さが厳しい場所で、家族と共に身の安全を最優先に行動している方々、慣れない土地で避難を余儀なくされている方々のことを考えると、ただただ胸が痛みます。

令和6年能登半島地震により亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、被災された皆さまに心よりお見舞い申し上げます。

 

 

最後に更新したブログ記事が2021年10月で終わっていたので、この空白期間に起こった出来事をまず書いていこうと思います。

 

2022年夏の暑さが少し和らいだ頃、祖母が老衰で亡くなりました。96歳でした。

 

亡くなる以前に、施設でお祝い行事がありました。その頃から体調不良があって、そろそろお迎えがくるのではないかと色んな話が出ていました。

 

正直、当日どうなるのか不安でした。そんな中、両親は華やかな衣装を用意し、祖母はきれいにおめかしして、なんとか写真撮影を無事終えることができました。その日は両親や親戚も祖母に会いに行けました。当の本人は眠そうにしていたそうですが、本当に良かったと思いました。

 

お祝い行事を終えたあと発熱状態が続き、さらに食事量が減り、点滴が開始されました。亡くなる2週間近くは、担当のケアマネさんから逐一報告の電話がありました。父は毎日、祖母が入所する施設へ出向き、私を含む家族は家の中を整理したり、掃除に明け暮れていました。まるで人が死ぬのを待っているみたいな感じがして、手を動かし足を動かしている自分がなんだか嫌でした。

 

頭の中では思考が止まりません。祖母が亡くなってしまう悲しさや喪失感よりも、葬儀を滞りなく無事終わらせたいとか、他人に変わりない遠方の親戚に会わないといけない面倒さが勝ってしまいます。つくづくダメな孫だと我ながら思いました。

 

いよいよその日がやってきて、初七日を終えるまでは慌ただしく過ぎていきました。言われたくないことを悪気なく言われた以外は、なんとか終えられたと思います。不安に思っていたことはほとんど起きませんでした。事細かく書いてしまうと長くなってしまうので、割愛させていただきます。

 

小さい頃はよく遊んでくれた祖母。大人になってからは良い関係を築くことができず、喧嘩がたえない日もありました。祖母が認知症を患い、入院期間を経て施設入所が決まってからは一度も面会に行きませんでした。

 

コロナ禍当初、施設から祖母が救急病院に搬送されると連絡を受けて、父と一緒に病院へ行きました。私は何年かぶりに祖母と会いました。ベッドに横たわる彼女の容姿はだいぶ変わっていてショックを受けました。

 

救急センターから病棟へ移ると、祖母は暴言を吐けるくらいに元気になっていました。もう私の名前は覚えていないと思っていたけど、そこはまだしっかりしていました。

「面会にこない」「(私の容姿を見て)太っている」とか、方言交じりだけどおそらく汚い言葉で私らをとにかく罵る…。祖母の声が病棟中に響き渡ります。

心底恥ずかしい気持ちもあったけど、早く終わればいいいのにと笑って聞き流すしかできませんでした。横を見ると、「情けない…」とポツリとつぶやく父が普段より小さく見えました。

 

内心、今度祖母に会う時は亡くなった時になるだろうと漠然と考えていました。本当にそうなりました。

 

施設から祖母の日常を切り取った写真や動画が残されているタブレットをもらいました。家族葬がひと段落してから、ようやくそのタブレットの中身を確認して、私はその時初めて泣きました。

後悔に近い感情なのか、今でも言語化が難しいです。できれば祖母を好きだと思える孫になれなかったのが少し悔しかった気がします。

 

亡くなった今でも、祖母がどんな人間だったのかわからない。

 

物心つく前から母の味方をしてきた自分は、クリアな状態で祖母を見ることができません。周りから聞こえてくるようなおばあちゃんとのふれあいやほほえましいエピソードは、祖母と良い関係を結べなかった自分にとって、ただただうらやましいものでしかない。

 

話の終着点を見失ってしまったので、ここで一旦祖母に関する話を終えておきます。

昨年、一周忌法要を無事終えました。ひとまずは近況報告でした。

また後日、ブログをお休みしてた期間の話をしていきます。

 

長文となってしまいましたが、

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。