「将来の夢はなんですか?」
ほとんどの人が、小さい頃から周りの大人たちに聞かれていたと思う。
幼稚園生の頃は、誕生日会で「ケーキ屋さんになりたい」と、みんなの前で宣言していた。
なりたい理由は、ケーキをたくさん食べられると思っていたから・・・
ケーキそんなに食べられないくせに、なんとも子どもらしい考えだ 笑。
幼稚園はずっとそれで通していた。
小学校の頃は、理科の若いお兄ちゃん先生に憧れて、
学校そんなに好きじゃなかったのに先生いいかもって思えた。
だけど熱しやすく冷めやすかったこともあり、
ねこや犬とよくふれあうようになると、獣医師になりたくなった。
また時を経ると、漫画が大好きだからマンガ家もいいかもしれない・・・ってなった。
一時期、自分でラブコメ漫画を創作して、友達に読んでもらうことにやりがいを感じて嬉しかった。
あの時作った漫画ノート、恥ずかしいのが耐えきれず捨ててしまった。
あぁ~捨てないで残しておけば良かったと後悔している・・・絶対傑作ものだよ。
中学の頃は、学校の先生はやりたくないと考えるようになった。
仲間はずれされるし、退部したことも重なり、不登校になりかけていたのが原因だと思う。
学校嫌いな私が教師・・・ 絶対無理だなって思った。
将来の夢も漠然としていた。
とにかく、志望校に合格出来るように勉強勉強…と、必死だったからだはず。
高校生の頃、進路相談の時期になると、
父は「看護師を目指せ!」の一点張りだったことに強く反発していた。
父の望む者に私は決してならないと反抗していた。
私に看護師は向いてないと思っていた。
当時「ナースのお仕事」ってドラマが好きでよく見ていたけど
いろいろやらかす主人公を見て、私には合わないかも… 注射とか出来ないだろうなぁなんて思ってた。
高校2年生の冬頃
部活帰りに書店へ寄り道しようとしていたら
電動車いすに乗った女性に出会った。
道に迷って困っていたので、寄り道をやめてその人の行きたい場所へ一緒に行くことにした。
口頭で道案内しても、土地勘がないと難しいかもしれない・・・
近くに介助者らしき人はいなくて1人。
日はとっくに沈んでいて、暗く見通しが悪くなっていたので、事故にあっては大変とこのまま放っておけなかった。
女性の行きたい場所まで少し会話をしながら、歩く。
所々段差や点字ブロックの上を進むと車いすががたつき、若干傾斜がある箇所がある。
この女性と一緒に歩かないと、気づけなかったことが色々あった。
転倒しないようにヒヤヒヤしつつも、目的地に無事たどり着くことが出来た。
この女性がどこから来たのか不明だったから、帰りも付き添おうと思ってたけど断られた。
「帰りは大丈夫、ありがとう」と言われ、その人と別れた。
この経験から、障がいのある人のサポートに興味を抱くようになった。
色々調べるうちに、「福祉」という言葉を初めて目にした。
私でも誰かの役にたてるかもしれない。
人に必要とされる仕事をやってみたいと考えるようになった。
今思えば、自分の承認欲求を満たそうとしていたんだろうなって。
うーん・・・誰かに感謝されたりするの気持ちいいもんだよね。
仕事にやりがい、生きがいをものすごく求めていたんだ。
そういや、なんで、「将来何になりたい?」ってみんな聞くのだろう。
そんな疑問すら感じなかった。
人は何かにならないといけない、それが当たり前だと思い込んでた。
何者にでもなれると思っていたけど、それは当たり前ではないということを今実感している。
自分らしく生きられればそれで良かったんじゃないか?