進路選択という大きなことよりも、まず先に、小さい選択の積み重ねを子どもの頃からどんな風にやってきたのかなぁ……と、ふと思う。
自分で決めて選んできたこともあれば、私のことなのに、親が決めてしまうこともあったように感じる。
学校も、習い事も、自分の事に関しては、本当は自分が通いたいか・通いたくないかを選べたんだ。
今の居場所に違和感があるなら、自分の行きたいところを模索することも出来たんだ。
居場所を探す権利も得られていなかったし、探していいことすら知らなかったんだ。
全てにおいて、自分に選ぶ権利はあまりなかったかもしれない。
「正直、私はこうしたい」 「私はこれが好き」
自然にそう感じる思いはあったはずだけど、親の顔色や意見を伺って、
周囲を気にして「やっぱり、これでいいや」と妥協してきた。
これまでに、何度自分の気持ちや思いを無意識に蓋をしてきたのか。
そういや、どうして漫画を描くことをやめてしまったのかな?
私が描いた漫画を読んだ人から、マイナスな意見を聞いてしまったからかな。
ダサいとか、オタクだとか… 否定的なことを言われたり、思われるのが嫌で耐えられなかったから。
色々原因はありそうだけど、どうしても他人軸を優先に行動しちゃっていたのがもったいない気がする。
漫画読むのは今でも好き。
素晴らしい作品を目の当たりにすると、自分のはなんてしょぼいんだろう・・・と、描くのをためらってしまう。
描いてもいないうちから、しょぼいと自虐するのは訂正しよ。
絵を描くことが好きだったのに、なんで貫かったのかな?
「絵を描くだけでは食べてはいけない」と親に言われたからだろうか。
自分の好きを貫き通したいとまでは、思わなかったのかな?
本当に絵を描くのが好きだったのかすら疑問に思えてきた。
「芸大はお金がかかるし、仕事としては無理だ」
そう他人の言葉を、自分の言葉にすり替えて、言い訳して本当にそうだと思い込んでいった。
現実的な考えに寄りつつあるのは、正しいようでなんだか悲しい。
人任せに選ばない。自分のスキを大切にする。
貫くことも勇気が必要だなって改めて思う。