人と関わるなかでストレスを感じることは誰にでもある事だし、みんなと同じように乗り越えられるとかなんとかなると思っていた。学生の頃は人と接するのは嫌いじゃなかったが、時にグッタリと疲れてしんどいのは仕方ないと思っていた。
昔の職場であった嫌な事が時々ゆるくフラッシュバックしてくるのが辛い。夢に登場してくるのもしんどい。先日久しぶりにズーンときた。
支援する立場にあるのに何も出来ないでいたことや、色んな人を傷つけたこと、「あなたにこの仕事は向いてない」とやんわり言われたことなど...出来れば忘れてしまいたいことがよみがえってくる。
これらを思い出すと、どう考えても自分が悪かったとなる部分が大きくて自責の念にかられる。自分に対する悔しさや怒り。歯がゆさ。悲しみとかでぐちゃぐちゃになる。
「あなたにこの仕事は向いてない」これは事実だった。そもそも職場に居場所を求めていた自分が愚かだった。
必要とされたい・認められたいと願っている事が伝わらなかった。認められたいってなに?そう思うことってどうなの?と疑問系で返された。
承認欲求の塊だった私は、まさかの反応に傷ついて頭が真っ白になった。大した仕事ができなかったくせに、認めてくれっていうのはおかしな話だよなあ思う。
具体的になんと言われたのか、、グサッと刺さったのが辛すぎたせいでよく覚えていないけど、こちらの育ってきた環境とか家庭がどうのこうのと言われ、何か(人として)欠けている、おかしいと言われたような気がする。
偏見バリバリな言い方になるが、保育士の資格を持ち、旦那さんと子どもが居て、障がいの子ども達の支援者である人の口から、こちらの家庭環境や育ちをディスる言葉が出てくることに驚いた。
それはあながち間違っていなかったけど、上司にそこまで言われる筋合いはないと怒りを覚えた。上司だから何でもかんでも言っていいわけではない。だが、迷惑ばかりかけていた手前、反論出来ず言われっぱなしでいることにした。少し泣きながら聞き流していたかもしれない。
「質の良い支援をしていきたい」と話していた。私が足を引っ張っていたから邪魔だったのだろう。早く辞めてしまえと言いたげなのに、「短期間で辞めたらどこでもやっていけないよ」と呪いをかけてくるのなんでなんだろうか。
今更だけど、福祉職を目指す前に、自分にその仕事が相応しくないかどうかについて、もっと調べるべきだったと痛感させられる。カウンセリングを受けたりして、自分の課題と向き合う必要があった。
人の役に立ちたかったというより、誰かに必要とされたいって思ってるんだから厄介だ。当時はこれがしたいと思って勉強して、就職浪人が嫌で焦って仕事を見つけたのに、から回りで終わってしまった。
自分の承認欲求や痛々しさに数年前に気づいて、恥ずかしくて死にたくなった。深刻とまではいかないけど、今でもたまに死にたいがよぎる。
・・・先日吐き出したいがためにTwitterで呟いたものを記事にしてみた。愚痴どろどろな内容となって見苦しいけど、溜め込んでも仕方ないからここぞとばかりに出しきるっ!
感情労働が激しい仕事はきつい。それがわりかし少ない仕事で、黙々と没頭して出来る仕事なら出来るものもある。今後人格を否定されてもまともに受け入れないでいいのだ。
ばあちゃんになるまで生きているかわからないが、このフラッシュバックが歳を重ねるごとに減っていけばいいのにと思う。