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小学3年生の頃は、どの学年よりも穏やかに過ごしていたような気がする。学校に行きたくないって鬱々になるのがそんなになかったと思う。
バレンタインデーには、同じクラスのとても優しい男の子にチョコをあげて、初めてお返しをもらえるあまーい経験もした。とても嬉しかったです。
学校での変化といえば、若い担任の先生がいつの間にか途中で変わってしまったことだった。正直残念だったしお別れも言えたのか覚えていないけど、時間が経てば少しずつ慣れていった。
転校生がやってきた事もあった。たまたまその子と自分の席が近かったこともあって色々おしゃべりをした。
話の流れで、最近その子の親が亡くなった事実を知り驚いた。驚きと同時に、立ち入った事を聞いてしまった申し訳なさと、その子に嫌な思いをさせてしまったと気まずい気持ちが出てくる。
すかさず私はごめんねと謝ると、その子はいいよと言ってくれた。いいよって言ってくれたけど、こちらに気を遣わせてしまった気がして、やはり何とも言えない気持ちが残った。お父さんお母さんが居て当たり前と思っていた当時の自分にとって、これは衝撃的だった。
学校関係ないけど、多分同時期くらいに母方の親戚ぐるみでキャンプにも行っている。
頻繁に会う人達ではないし、知らない人ばかりで人見知り全開だったので、ほとんど弟と一緒に遊んでいた。そんななか、2つ上の遠い親戚にあたるにーにー(お兄ちゃん)達が何かとかまってくれて楽しかったのを覚えている。
この時ばかりは、自分がねーねー(お姉ちゃん)であるのを忘れて遊んでいた。すぐ会える距離に、にーにーやねーねー達が居たら良かったのにとつくづく思った。
何処でも寝れる子じゃなかったので、寝る環境が変わった事と楽しくて変なテンションになっていたのもあり、その日はなかなか眠れなかった。
自然と朝早起きして、島を見渡せる眺めの良いところに行くと、いとこのにーにーが居たのでおしゃべりした。
その時 「将来何になりたい?」と聞かれた。当時色んな夢を描いていた私はなんとなく「先生になりたい」と話したはず。にーにーは「それはいいね!応援してるよー」って話してくれた。
結局、今でも何者にもなれてない。もはや何にもなれないんだけどね。
どんな話の流れで夢の話になったかさっぱり忘れちゃったけど、「将来何になりたい」という問いかけも、当時も今も変わらずに当たり前に行われているなぁと感じる。何かにならなくても生きていていいのでは…と考える。
次回から小学4年生の頃の話にうつります。個人的にしんどい話が多めになりそうなので、今回はどうしてもほっこりした内容を書きたかったのであげてみました。
今日は…というか、毎度まとまりもオチもない文章に仕上がりますが、ここまで読んでくださって本当にありがとうございます。
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