性別でどうのこうの言うのはもう古い。女らしさを求められたくないし、誰かに押し付けたくはない。あと、強い人間でなくてもいいやと読んでて楽になった。
— ぼっちぼち。 (@yuzu_wakaa) 2020年1月6日
「女に生まれてよかった……!」と源一郎ボイスで寿ぐJJの冬|アルテイシアの熟女入門|アルテイシア - 幻冬舎plus https://t.co/fsFDvbP8m3
とはいえ私も、異性に対して「男らしくない」とか「男だったらこうあるべきでしょ!」って思い込んでた。ずーっと女らしさというものにモヤモヤしていたくせにね。
「ぶすっとしない!女の子はニコニコしなきゃダメ」って、こちらの感情を抑え込むような言葉をずっとやかましいって思ってた。
何が面白くて笑ってないといけないのか?何で女は愛嬌なのか?父や母から刷り込まれたのも大いにある。刷り込まれたことも忘れて、皆が言う良い女がなんとなく良いんだろうと染まっていった。
それでニコニコしていたら、今は笑うとこじゃないとかこちらの反応をつっこまれたりして、余計わけわからなくなった。社会人になりたてで職場内の険悪なムードをまぎらわせたくて不器用に笑うしか出来なかっただけなんだが、今となってはどうでもいい。はぁーめんどくさい。
今でも性別で人を見ようと色眼鏡をかけていることにハッと気づいたりして反省する。我ながらすごく残念な人だったと感じるのはある程度時間が経ってからだ。
なんでもない時にふと思い出しては恥ずか死にたくなる。そんな今もどんどん過去になっていくから、未来の自分がいたたまれない気持ちでいっぱいになりながらも、もうそうするしかなかったよねって言うはず。
自分にダメ出しはしても、とりあえず今の自分がいいなとか共感するもの、賛同するものなどを選んでいけばいい。あのときはそうだったけど今はこうだ~!ってね。
見方や価値観を変えていくのはとても大事。言うだけなら容易いけど、少し勇気もいる。変わることを恐れないでいいと思う。あと、女子力高いとか女らしいというよりも、人として生活出来る知恵や技術は色々身につけておいて損はないと思った。