子どもたちのSOS
前から気にはなっていたけど、先日初めて #8月31日の夜に。という番組を視聴した。
このハッシュタグをちょこちょこ追っていって、様々なツイートを読んだりした。読んでいるこちらまでしんどくなるものもある。
本人が1番辛くて苦しいだろう。ただ読むしか出来ない自分が無力でやるせなくなってくる。
学校生活での息苦しさ、校則、部活、教師や友達との関係などに行き詰まりを感じていること。
学校生活を送るだけで大変疲れきっているのに、家庭では悩みや本音を打ち明けられない。また家庭内でも問題が色々あるという理由から安心して安らげない。居場所がどこにもない…… 切実な訴えがとにかくひしひしと伝わってくる。
私も学校は嫌いだった
行きたくない日がほとんどだった。幼稚園の頃から「どうして行かないといけないのか」そう疑問に思っていた。
だけど、当時は学校に行かないという選択肢はなかった。学校に行かない権利があること自体わからなかった。
風邪をひいてもないのに行き渋っていると、母は烈火のごとく怒っていた。学校に行きたくない気持ちをどう表現していいのやら、本当に難しかった。
自分の気持ちや考えを言語化出来たとしても、それは認められることはなく受け入れられなかった。だから、朝はいつも憂鬱で嫌々な気持ちを抱えながら通っていた。
なんとかどうにか乗り越えてきた自分を称えたい気持ちはある。だけど、これで良かったのだと素直に言いきれない自分がいる。もっと他に別の道があったんじゃないかって。
子どもの世界は大人が想像する以上に狭い
大人になった今と比べると、子どもの世界はものすごく狭かった。自分のこれまでをふりかえったり、今現役の学生たちが紡ぐ言葉から改めて実感させられる。
世界が狭いうえに、親から色々制限される場合もあったり、わけの分からないブラック校則にギュウギュウに縛られたりする。
もし過去に戻れるタイムマシーンがあったとしたら、幼稚園から高校生の頃には絶対戻りたくないなと思う。
不登校になった理由は皆それぞれ違う
いじめが全てではない。いじめられたわけではないけど、学校に行けなくなる場合も多々ある。
明確な理由があったはずだろう。ささいなことがきっかけだったかもしれない。
だけど、時が過ぎるにつれて物事が色々複雑化していったり、言語化や表現がうまくできない場合などが重なると、本人自身何がどうしてそうなったのかわからなくなることもある。本人自身、もどかしくてたまらないだろうと思う。
クラス内のいや〜な雰囲気を感じとり、その空間に居続けることを嫌悪していくようになる。
だんだん嫌悪している自分をごまかしてやり過ごすことも身につくだろうけど、ごまかしがきかなくなると同時に自己嫌悪が始まる。
色んな“ 死にたい ”がある
学校に行けない
= 死にたい
暗い未来しか想像つかない = 死にたい
自分が望んでいたことが叶えられない
= 死にたい
人に迷惑をかけたくない = 死にたい
色んな理由で死にたくなること。学校に行く理由がない苦しみ。友達が多くてもその中に自分と合う人が居ない孤独や疎外感…… わかりみが深くて泣きそうになってくる。
SNSで、学校に行かない選択をした子ども達や、その選択を尊重してサポートに全力を注いでいる親御さんが増えてきたように感じる。
時代は確実に変わってきている。少しずつ色んな価値観がうまれてきつつあるのは喜ばしいことだから。
自分と同じ轍を踏ませるようなことはしたくない。
「私たちは歯を食いしばって辛い思いしながらもやってきたんだからあなた達もそうしろ!」なんて言葉を偉そうに口にしたくない。
もっと生きやすくていいのだ。悪しきものは断ち切っていって、楽にやっていってほしい。
学校に行かない選択をした子どもたちのための本があります。